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伊雑の宮 お田植祭り

6月24日は志摩市にある、伊雑の宮の「お田植祭り」

歴史は古く平安の頃から続く、お田植お祭りです

(倭姫命の巡幸の際に7匹のサメが野川を遡上(そじょう)し、命に伊雑宮の鎮座地を

示したという「七本鮫」伝承に基づく)

今では、長い時間で何と呼ぶのか分からなくなった「警護」(今は役割からそう呼んでいます)

太鼓打ち、女装した稚児が田船に乗り、早乙女たちの田植えの合図の太鼓を鳴らします

一番の見ものは、裸男たちが「忌竹」を田の中奪い合うのが見もの

忌竹の一片を漁師は船に飾ると大漁とかヽ(^o^)丿

裸男も田泥で体中をパック??しているし、孫にふざけて抱きついたりと

楽しいお祭りです、裸男は一般募集もしてますので (*^▽^*)

近くの方 来年参加や見物に来てください。

出発が遅く、途中交通事故で渋滞の巻き込まれ、早乙女たちが

神社から出てゆく場面は、撮れず残念 (≧◇≦)


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米大統領広島へ

一寸古いが、アメリカ大統領が広島への記事を読んで、昔の記憶が蘇りました

入社したての頃に、何の時だったか、同僚のお父さんは被爆者手帳を持っている

話を聞き、理由をお聞きしたら、兵隊さんで「原爆」投下直後に広島へ救援に行って

二次被ばくしたそうです、特殊爆弾が何か解らず出動したとか (≧◇≦)



その戦争は私が誕生した時には終わってましたが、まだ身近な存在でした

同級生の父親が戦死した、中国・シベリアから未帰還とか・・・・・

ご近所の、理髪店主さんは戦死して、奥さんが理容店を営んでいました

観光地やお祭りには「傷痍軍人」の方たちがよく、募金箱を置いてアコーデオンで

「異国の丘」を演奏していましたね、そして父はよく募金をしてました。

夕方のラジオでは、尋ね人の時間があり、〇〇町にお住まいだった何々さんと

放送が有り、情報は今のように広く早く伝わらない、新聞・ラジオが

だけの時代でしたね。


中学担任のお家に遊びに行った時に、先生のご主人は戦死されて

勲章を貰たそうです、見せて頂きましたが・・・・先生は悲しそうでした (≧▽≦)

高校の担任からは、お兄さんが「人間魚雷回天」に搭乗して戦死された話を聞きました

どちらの先生も、戦争がいいとか、悪いとかは何も話されませんでした、お二人とも

時間がかかっても、それは自分で考えろと言いたかったのかな。


我が亡母の兄三人も徴兵で戦場に行き、長男は無事帰れましたが

次男はビルマで戦死 三男はシベリア抑留で亡くなりました

どちらも遺骨も無く、帰ってきた遺骨箱を母が開けてみたら、中には

木片に名前が書かれた物が入っていたそうです

母は亡くなる前には、痴ほう状態でしたが「次男・三男は戦死していない」と

遺骨も帰らなかったので、認める事は出来なかったのでしょうね。

戦後、母の実家の隣家(お屋敷)に「アメリカ兵たち」が駐留していて、時々実家へ遊びに

来ていたそうです、祖父母の手のアカギレを見て、可哀想とハンドクリームを持ってきて

くれたりいろんな物を持って来てくれたとか、どんな気持ちで祖父母は「アメリカ兵」に

接したのでしょうか ?

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